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西日本新聞 | やっぱすごいな、ビョーク 歌手 UAさん(38) 西日本新聞 UA(ううあ)さんは1972年生まれ、大阪府出身。95年にシングル「HORIZON」でデビュー。翌年、シングル「情熱」が大ヒットして脚光を浴びた。新アルバム「KABA」では、ピンク・レディーや薬師丸ひろ子、レディオヘッドなどの楽曲をカバーしている。 |
Q | 当時、キャンディーズとピンクレディーは、どちらが国民的スターでしたか? |
A | キャンディーズとピンクレディは、ほぼ同時期に活躍した人気アイドルですが、両者は中心となるファン層にかなり違いがありました。ピンクレディという名前はカクテルから取ったくらいに、元々は大人向けのアイドルとして、セクシーな衣装と振り付けで売り出したのですが、なぜか子どもに受けてしまい、全盛期は小中学生の女の子を中心に絶大な人気がありました。その層に向けて、自転車やお洒落セットなど、様々な関連商品が売り出されていたくらいです。一方キャンディーズは、男子大学生を中心にした人気で、全キャン連という巨大な私設ファン組織を抱えていました。今で言うアイドルオタクの原型の一つと言えます。ピンクレディの人気のピークは、1977年から1978年に掛けてで、ミリオンヒットを連発し、「UFO」では150万枚以上を売り上げています。ただ、だんだんと子どもに媚びた歌になるにつれて、逆に子どもに飽きられて急激に人気が冷えていきました。その後はアメリカ進出など試行錯誤を繰り返しますが、人気は復活せず、淋しい解散を迎えました。キャンディーズは、ピンクレディより前にデビューし、「年下の男の子」や「春一番」でスマッシュヒットを飛ばしていました。歌だけではなく、「8時だョ!全員集合」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などで本気のコントをやっていましたので、中心のファン層以外にも歌の売れ行き以上の知名度・人気はありました。彼女たちは音楽に対する姿勢も真摯で、それぞれに曲を作るようになり、譜面を初見で歌えるくらいになっていきました。後から出てきたピンクレディに人気を抜かされた感もありましたが、彼女たちの人気が衰えたからではなく、ピンクレディの人気が凄すぎただけです。そうして1977年の夏に突然の解散宣言を行い、後楽園球場での解散コンサートが決まると、その日に向けて刻々と盛り上がりを見せていきました。この盛り上がりは、従来のファンだけでなく、一般の人たちも巻き込んでいき、最後のシングルで初めての1位獲得、世間にも強い印象を残して消えてゆきました。ということで、国民的スターというか、国民的アイドルの地位を得たのはピンクレディと言って良いですが、セールスでは全く及ばないキャンディーズもお茶の間のアイドルとしては同等の知名度を得ていたと思っていいです。 |
「山口百恵」満喫!エッ、DVDBOXの宣伝だったの!? J-CASTニュース フジといえば「夜のヒットスタジオ」ということで、山口百恵が出演した過去の「夜ヒット」の中から持ち歌を歌っているシーンだけでなく、オープニングメドレーでほかの人の歌を歌う場面や、ピンクレディーの代わりに桜田淳子と2人で「渚のシンドバッド」を歌うリハーサル ... |